Hey! Now!

 女はその時そこにいるのがもうたまらないと云うようにして起ちあがった。単衣の上に羽織った華美なお召の羽織が陰鬱な室の中に彩をこしらえた。順作はそれに気をとられた。
「どこかへ往くのか」
「ちょっとそこまで往って来ますわ」
「どこだね」
「ちょっとそこですわ」
「飯を喫ってからにしちゃ、どうだね、俺も往くよ」
「でも、私、ちょっと歩いて来ますわ」
「じゃ、俺も散歩しよう」
「でも、家は」
「家は留守番が出来たから宜いよ」
「そう」

 長野県の上田市にある上田城は、名将真田幸村の居城として知られているが、その上田城の濠の水を明治初年になって、替え乾そうと云う事になった。そして、いよいよその日になると、附近の人びとは好奇心に駆られて、早朝から手伝いやら見物やらで押しかけて来た。
 その日は朝からからっと晴れた好天気で、気候も初夏らしく温い日だったので、人びとはお祭り騒ぎで替え乾をはじめた。そのために作業はずんずんはかどって、水が減るに従って大きな鯉が躍りあがったり、大鯰が浮いたりして、濠の周囲には至るところに喊声があがった。

 義民木内宗五郎で有名な甚兵衛の渡場のある処は、印西という処であるが、その印西の渡場から西へ十町ばかり往った処に、位牌田と云う田がある。それはその形が位牌に似ているところからその名が起ったもので、段別は一段八畝あって、土地がよく肥えているので、その田からは相当な収穫があがるが、その田を作る家は、毎年死人が出るので、二年とその田を続けて作る者がなかった。
 そんなことで、その田は荒廃して、雑草が生い茂り、足を踏みいれることもできないようになった。ところで昭和二年になって、その位牌田を作ると云う者が出て来て、村の人たちを驚かした。
 それは隣村の者で明治初年比、田舎角力で名を売った某と云う老人であった、その老人は体重が三十貫近くもあって、生れて以来薬と云う物を口にしたことがないと云うくらい頑健な男であった。しかし、幾度も不幸を眼前に見て来た村の人たちは、他事とは思えないので、その老人に思いとどまるように忠告する者もあったが、老人は一笑に附して頭から取りあげなかった。